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咲-saki- について本気出して考えてみた その1

麻雀漫画としての咲-saki-

最近咲がアニメ化したこともあってかよくあることを耳にする。
「咲は萌え漫画であって麻雀漫画としてはレベルが低い。」
はたして本当にそうなのか。咲は麻雀漫画の皮を被った萌え漫画に過ぎないのだろうか?
この疑問を導入とし、様々な切り口から咲を考察してみる。

・そもそも麻雀漫画とは何か。

これに関しては人によって見解が違うだろうが、ここでは麻雀漫画を大きく二つに分ける。
一つは「麻雀漫画」、もう一つは「麻雀劇画」である。
まず「麻雀漫画」に分類されるのは「ノーマーク爆牌党」や「」のような、「キャラクターが牌を扱う」作品である。
それはどういうことかというと、麻雀はその世界を占める大きな要素に過ぎず、主役はあくまでキャラクターであるということだ。読者は闘牌を通してキャラクターの意思を感じる。そしてその打牌を通して読者はキャラクターと共感し、一体感を得ることができる。そうした一人称的な読み方を楽しむのが「麻雀漫画」愛読家であろう。また、闘牌を楽しむということは四人の意思が交錯することで生まれるドラマを楽しむことである。
そしてそのような「麻雀漫画」に求められるもの、それは打牌によって表現される個性豊かなキャラクターである。つまり打牌を見る、あるいは打牌に至る思考を知ることだけによりそのキャラクターが誰か判断できるのが望ましい。すなわち、打牌=思想=個性なのだ。その個性は作品によって打ち筋(ex:ノー爆)であったり能力(ex:兎)であったりする。個性を持つ様々なキャラクターが合わさって緻密な闘牌を作り、ひいては魅力的な物語を生むということだ。
一方「麻雀劇画」に代表されるのは「天牌」や「哭きの竜」だ。「哭きの竜」はヤクザ漫画ということもできるが、麻雀劇画、特に「天牌」や「あぶれもん」などの来賀峰岸作品に顕著なのは「麻雀を中心とする硬派な人間ドラマ」であるという特徴だ。
麻雀漫画」がキャラクターがそれぞれ持つデジタルな論理やオカルトな流れなどの様々な思想をぶつけ合う思想対決であるのと比べ、「麻雀劇画」ではキャラクターの人間的価値を競い合っているのだ。一般社会では収入や学歴など色々なものさしで人を判断するところを、麻雀だけが唯一絶対の価値観とする。それが「麻雀劇画」なのだ。
よってその性質上麻雀以外のものでも話は成立する。極論説得力さえあればポーカーでも良いのだ。要はたまたま麻雀というものさしを使っただけで、その本質は人間ドラマであると言える。それは「天牌」を読むとよくわかる。あの世界では打ち筋だけでキャラを判断するのは非常に困難だ。打牌時にキンと音が鳴るかならないか。それくらいしか打牌による判断基準が無い。
それでも「天牌」の闘牌を好む人は大勢いるだろう。それは売上が物語っている。だが作中のキャラクターが麻雀において最も重要だとしているのは感性であり、麻雀を知的競技の一つとみなす多くの読者の理解の範疇を超えている。彼らの共通言語である麻雀は我々の知るそれとは異質なものなのだ。つまり「麻雀劇画」の闘牌を好むというのは麻雀と対峙することで表れるキャラクターの人間性、麻雀という言語を通したキャラクター同士の掛け合いを楽しんでいると言える。
少々脱線したが、麻雀漫画に対する正確な認識を持たないことには咲を麻雀漫画という視点から語ることは出来ない。ここをスタート地点として考察を続けていきたい。

・咲は麻雀漫画?それとも萌え漫画?

咲には個性豊かなキャラが多く存在する。それも単にデフォルメの点だけでなく、打ち筋に個性を反映している。そして舞台の中心には麻雀がある。このことから咲が立派な麻雀漫画なのは明らかである。
それも一対一の構図ではなく常に四人の一対一対一対一の闘牌を見せる麻雀漫画。意外なことにこの形式でしっかり闘牌を書ききる麻雀漫画は珍しい。その点で片山まさゆき作品に似た、やはり「麻雀漫画」であろう。
では何故巷で「咲?あんなのただの萌え漫画だよ」とうそぶかれるのだろうか。

・読者層と感想の傾向

いまや様々なサイトで咲の漫画なりアニメなりの感想を見るようになったが、その感想の性質と読者(視聴者)層は関係しているように見える。読者の背景知識により評価の方向性が異なると言ってもよい。具体的には、
①麻雀を全く知らない層
②麻雀・麻雀漫画をかじったことがある層
③コアな麻雀漫画ファン
の三種に大別される。それぞれの傾向として、
は麻雀について知らない、あるいは興味がないが、可愛い女の子が活躍する部活漫画としてこの漫画を見ている。バスケはよく知らないがスラムダンクのファンであるという人が多いようなものだ。スポ根漫画的読み方をしているとも言える。このような読み方をしている人の中で、特に「萌え」の部分に比重を置く人にとってはこの漫画は萌え漫画だろう。実際には先に述べたように「麻雀漫画」にカテゴライズされるのだが。
こういった人々の感想は好感触なものが多い。萌えを求める層は能動的にそれを求めている節があるので、視聴(この層はアニメから入った人が多い)を続けている時点で作品に肯定的なのだ。また、麻雀について詳しく知らないので作品に対するマイナス評価をつけづらいということもあるだろう。
の層はそれに比べ批判的な見方が多い。その理由としてあるのは彼らの乏しい麻雀・麻雀漫画観にある。
「リーチ後にカンするな」   「確定12000を曲げるな」   「リーチにドラ側を打つな」
など打ち筋に関することから
「リンシャンであんなにツモれるわけがない」   「ステルスとかありえない」
という設定的なものまで。打ち筋批判の中には「テンパイまでドラを打つな」どこぞの雀鬼サマみたいなことを大真面目に語っているものも多くあり、新手の釣りなのではないかと疑うほどだ。この作品を批判するにはもっと違う角度からなされる必要があるのだが、残念ながらこの層の意見は一様で凡庸なものがほとんどでそれはとても期待できそうにない。
そのような前時代的なセオリーを振り回して彼らが主張したいことは何か。それは「自分はにわかではない。」ということだろう。の層が麻雀知識を持たず手放しに賞賛しているのを見て、それに同調することに不安感を覚えた人がその逆を行くことで自分の意見というものを確立しようとした結果である。大きなもの、人気なものを非難することは安心感を得るのに手っ取り早い。知識も意見も持たずに数行で物事を非難などできるわけがないが。
他にも「天牌」や「アカギ」などを見て、麻雀漫画とはかくあるべきだとして批判する人々も多い。だがそれも木を見て森を見ず。一を知って十を知った気になり、世の中には箸にも棒にもかからない作品が溢れているのを知らないだけだ。
総じてこの層には建設的意見が見られない。
の層はやや肯定的だが、淡々と内容について語っているものが多い。一部信者とまで言える程熱烈なファンもいるが。
そもそも麻雀漫画ファンというもの自体が煮ても焼いても食えないような作品をつっついて楽しむような奇異な集団なのだ。専門誌ですらないのにこれだけ食べる部位があり、この世界を盛り上げている作品を躍起になって叩く必要がない。それよりも作者の麻雀観はどこからくるのか、ヤングガンガンという雑誌の中で麻雀分と萌え分の兼ね合いをどうしていくかの方に注目している人のほうが多いだろう。

続く

テーマ : 麻雀
ジャンル : ギャンブル

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